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第一章 星たちの目覚め // 08話 少女の記憶 どれだけの間意識を失っていたのだろうか。 ふと目を覚ますと、見知らぬ森の中で少女はたった独り。 木々の間から射し込まれる太陽の光がやけに目に眩しかった。けれど、その眩しさは熱を与えてくれはしなかった。 ――寒い。 乾燥した、冷たい風が吹き抜けた。冬の冷え切った空気が体温を奪う。 身に付けている服に目を向けると、お世辞にも暖かそうだといえる格好をしていなかった。 肌が寒さという感覚を捉えた直後、更に空腹までが襲い掛かってきた。 行かなければ。 でも、どこへ? ――どさり。 寒さと空腹で、何とか立ち上がろうとしたその身体はあっという間に地面に逆戻りした。 大地すらも、小さな少女から体温を奪っていく。 腰まで届く長さの若草色の長い髪は乱れ、その顔を覆い隠した。 ここで、自分は死ぬのだろうか。 他人事のように、そんな思いが頭を過った。既に立ち上がる気力さえない。 思考も、感覚も、何もかもがぼんやりとしていていた。 感覚が麻痺し、寒さすら次第に感じられなくなっていく。 ここはどこ? どうしてこんなところに独りでいるの? どうして、誰もいないの? わたしは……、 少女の意識は、再び闇に呑まれていった。 ― ― ― ― ― 「サートリグの近くの森に倒れてたあたしを見つけてくれたのがレイナさんだったの。それが今から七年前かな。会ったばっかりの頃のことはもうあんまり覚えてないけど……」 次に意識が戻った時、少女がいたのは森の中ではなかった。 暖かい空気に包まれた部屋。 「それより前のことは何にも覚えてなかったの」 それまで自分が何をしていたのかも。そして……自身の名前すらも。 それでも、少女を助けた女性は何も言わずに彼女を家に置いてやった。 「レイナさん、最初あたしを見つけた時は何かに襲われて気を失ってたと思ったみたいなんだけど……その時のあたし、体力的には弱ってたけど怪我ひとつなかったんだって」 山道に怪我ひとつせずに倒れていた金髪の少年と、同じ。 「だから、山道でフィート見つけた時びっくりしちゃった。しかもフィートも部分部分だけど記憶がないっていうし、こんな偶然あるのかなって――」 「……違う」 「え……何が?」 彼が何を否定したのか理解できず、クレアは首を傾げる。 記憶を失くしているといことにしておいた方が都合が良い。 あの時咄嗟にそんな考えが浮かんでしまったことをフィートは後悔した。 最初は、そんなに簡単に記憶喪失だと勘違いされるものだうかと疑問に思っていた。 しかし深く突き詰めることにせずにその疑問はフィートの中で薄らいでいったのだ。 まさかその勘違いの発端である少女自身が記憶喪失であるなどと、微塵も思わずに。 だから。 リルファ族である自分がここにいることが外の人間にとってどれだけ異常なことであるか、自身の一族が外の世界でどのように思われているかなど……。 そんなことを考える間もなく、彼は告げていた。 「俺、記憶が無いわけじゃないんだ」 少年がリルファ族であること。 リルファ族が良い印象をもたれていないと思ったからそれを黙っていたこと。 一族の儀式の際に突然異変が起こり、次に気が付いたらあの宿の一室にいたこと。 フィーレルに行けば島に戻る情報が得られると思い、そこを目指すと決めたこと――。 クレアはそれらの話を信じるべきなのか疑うべきなのかわからないでいた。 ――いきなりこんなこと言われても信じてもらえるかわからないけど。 話を始める前にフィートがこう言った通り、彼の話はどれも真実とは思えない事実ばかりで。 リルファ族と言えば、空に浮かぶ島で暮らしていたという人々。 かつてはどこからか地上に降りて来ることもあったというが、いつの間にか人々の前から姿を消した一族。 「悪いけど、何の証拠も無しに信じられるような話じゃないわよね……」 フィートの話し振りからして、とても嘘をついているようには見えない。 しかし、あまりにもその内容が非現実的すぎるのだ。 「何か、そういう証拠でもあれば信じる気にもなるけど……」 証拠。何か示せるものがあるだろうか、とフィートは思考を巡らせる。 リルファ族というのは、容姿は普通の人間と変わらないのだ。 どこかの森に隠れ棲むというエルフのように耳が尖っているわけでもないし、魔物の瞳が金色であるように全員に共通点があるいうわけでもない。 他の人々と異なる点といえば、精霊の儀を受けた後の魔力と強さ、それから……。 「リルファ族って精霊の声が聞けるって聞いたことあるけど、それは?」 フィートと同時にクレアも同様の考えに辿り着いたようだ。 確かにその能力はフィートにもあった。 しかし、それは数日前まで……リルファ島にいたときまでの話。 「それなんたけど……どうしてかわからないけど、あの宿で目が覚めてから精霊の力が感じられなくなってるんだ」 「じゃあ精霊と話せないの?」 「今は……。声が聞けたとしても人に示せる能力じゃないけどな」 「じゃあ、魔力は? さっき言ってた精霊の儀っていうの受けたんだから、フィートもすごい魔力持ってるのよね? ってそっか、今魔結晶持ってないんだっけ……あれ?」 そこでクレアはある矛盾点に気が付いた。 「フィート、魔術使えるのよね?」 「ああ、使えるけど」 「でも、魔結晶のこと知らなかったわよね?」 「うん」 「もう一回確認するけど、記憶喪失じゃないのよね?」 「う、うん」 「――どうやって魔術使ってたの?」 魔結晶無しで魔術が使えるという話を、クレアは聞いたことがなかった。 魔術を使うためには、自身の魔力と知識、そして精霊の力……すなわち魔結晶がの三つが必須なのだから。このことはフィート自身も理解していた。 「俺は魔結晶っていうのがどういう物かは知らないけど、そういう特別な道具がなくても今まで魔術使えてたよ」 「どうして? リルファ族ってことと関係あるの?」 「クレアに魔結晶の話を聞いて考えてたんだけど、魔結晶って精霊の力が宿ってるって言ってたよな?」 「うん、それで魔術使うときに精霊の力が引き出せるみたいだけど」 「リルファ族って精霊の力を感じることができる能力があるだろ? だから、魔結晶が無くても直接精霊の力を借りれるんじゃないかって思ったんだ」 しばしの間を挟んだ後、ぱんっとクレアは手を叩いた。 「そっか。だから森の中で魔結晶も無しに魔術使おうとしたのね。で、原因はわからないけどその能力が無くなってるから発動しなかった……てこと?」 「多分。今も、精霊の力感じられないし」 「そっかぁ。そうだとしたらいろいろ説明が付くわね」 「少しは信じてもらえた? 俺がリルファ族だってこと」 「あのねぇ、あたしだって疑いたくって疑ってるんじゃないのよ? あまりにフィートの話に現実味がないから……でも、あたしも記憶喪失だとかあんまり現実味ない話してるからお相子かな」 記憶を失くした人間など、それこそ簡単にお目にかかれるものではない。 (あたしの話の方が現実味ないのかもね) 少女は無意識のうちに、小さく自嘲の笑みを漏らしていた。 リルファ族は今でこそ人々の前に現れなくなったが、その一族が存在していたことは確かな記録として残っているという。 何故彼らが大地に降りてこなくなったのかはわからないけれど、人々の前に姿を現さなくなった後もリルファ族がずっと空の島で生きていたというのなら、まだリルファ族が生きているということは可能性として十分にあり得る。 彼らは元々外と交わりをほとんど持たずとも、あの島で生きてきたのだから。 精霊と意を交わすことのできる、その一族――。 (……精霊?) ふと、数日前の出来事が頭を過る。 「ねえ、精霊の声ってどんな風に聞こえてくるの?」 その質問に、意表をつかれたようにフィートは首を傾げた。 「えーと、言葉じゃ説明が難しいな……どこから聞こえてくるってわけでもなくて……」 「頭の中で声が何重かに響きあってる感じ?」 「そう、そんな感じかな……え?」 どうしてそんなことが、と言う前にクレアは続けていた。 「あたし、フィートが倒れてるの見つける前に変な声聞いたんだけど」 ――このさきに ひとが います ――たすけて あげて 何の前触れもなく、どこからかその声は聞こえてきて。 「それからしばらく経たないうちにフィートを見つけたのよね」 あれは『精霊』の声だったのだろうか? しかし……。 「今までにもそういうことあったのか?」 「ないわよ、ないからビックリしたんだもん」 普通の人間に、そもそも精霊の声が聞こえるはずがない。 そう、普通の人間には。 「フィートが近くにいたから、あたしにも精霊の声が聞けたのかしら?」 「そんな話聞いたことないけど……」 そんなことがあるのだろうか? フィートのようにリルファ島から来た人間なら精霊の声を聞けてもおかしくないが、島から急に人がいなくなったという話を彼は聞いたことがなかった。 クレアは、七年前からサートリグで暮らしているといった。 七年前ならば、フィートはもう十歳に近い。 その頃に同年代の少女が島からいなくなるなどという事件があれば、フィートも当然それを知っているに違いなかった。 「じゃあ、精霊の声じゃなかったのかな……」 幼い頃の自分。 今の自分が知らない、昔の自分。 もしかしたら、あの声がその手がかりになるのではと期待したけれど。 (そんなに甘くないか) 翠色の瞳の奥が揺らぐ。 腰の高さくらいの岩に腰掛けていたクレアは頬杖をついたままで、ひとつため息をついた。 ふと、顔を上げるとフィートと目がかち合う。 それに気づいたクレアは、ぱっと視線をそらして慌てて口を開く。 「あ……そうよね、リルファ族しか精霊の声って聞けないんだもんね。変なこと聞いてごめん」 自分は今、暗い顔をしていなかっただろうか? 今不安をいっぱいに抱えているのはフィートの方なのだ。 住んでいた場所から急に知らないところに来て、独りで。 そんな彼に気を使わせるようなことをしている場合ではないのだ。 「あたし先に寝ていい? 適当に時間経ったら代わるから起こしてっ」 フィートの返事も待たずに、クレアは荷物の中から毛布を取り出し地面に座り直すと、それまで腰掛けていた岩に体を預ける。 「おやすみ」 言い終わるのか終わらないかのうちに、顔を隠すように毛布を頭から被ってしまった。 急に、焚き火の音だけがやけに大きく聞こえるようになった。 ――精霊の声じゃなかったのかな。 少女の言葉が、頭の中で反芻される。 フィートには、クレアが聞いたというのは精霊の声だとしか思えなかった。 他にそういった声の聞こえる現象があるのならば別だが。 しかし、精霊の声だとして、何故その声がクレアに聞くことができたのか。 ……答えは、ひとつか思い当たらないけれど。 (でも、そんなはずないよな) 浮かんだ考えを払うと、精霊の儀での出来事が思い返された。 島は今頃どうなっているのだろうか。 儀式はあの後どうなったのか。あの場にいた他の人たちには何の影響もなかったのだろうか? 自分は島のあちこちを探されているのだろうか? まさか、島の外に来てしまったなどとは誰も思わないだろう。 ふと、親しい人々の顔が浮かぶ。 ギルやカトレア、長老、そして共に精霊の儀を受けるはずだった皆……。 ちょっとした怪我でも大袈裟すぎるほど心配してくれるカトレアのことだ、フィートが突然いなくなったなどと聞いたらどこを探し出すかわからない。 とにかく今は、島に帰る方法を見つけなければ。 方法がわからないことには行動を起こすことさえできないのだから。 ― ― ― ― ― 白と黒で構成された空間。 夢の中を、意識が彷徨う。 離れたところに立っていたのは幼い、少女。 哀しみを耐えた瞳で、こちらを見つめて。 ……まただ。 クレアはこれまでにも何度もその姿を見たことがあった。 それはいつも夢の中でなのだけれど。 (誰、なの……?) 知らない人。 だというのに、どうしてその瞳を見ていると胸が締め付けられるのだろうか。 自分の中に潜むもう一人の自分が、その痛みによって何か訴えかけているようで。 そこに立っていた少女はくるりと背を向けた。 こちらを気にするように振り返りつつも、少しずつ離れていってしまう。 (待って!) 声を出したつもりだったが、聞こえていないようだ。 自分は確かにここにいるのに、声も届かなければその少女を追いかけることもできない。 それが、とてももどかしくて。 モノクロームの世界で、少女の姿は次第に遠くなっていった。 |