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みんなにとっちゃどうでもいい出来事

もんちゃん個人塾

 
 小さい頃の僕や周りの友達はみな「大人は間違ってる」とか、「ちっとも僕らの事をわかってくれない」
「大人は結局ズルイ」ってどこかで信じていた。
でもそうじゃない大人も確かにいるって思わせてくれた最初の人は、中学の時に通っていた個人塾の先生もんちゃんだ。

 小学校を卒業して、友達のあっちゃん、いしわっちゃんと別々の、ゴリ(小学校5年からの友達)とは同じ白山中学校に通う事になった。進学校に進むいしわっちゃんは仕方ないにして、あっちゃんとは同じ学校に通いたくて、親戚の家に籍を移して同じ学校に通えるように親に頼んでいたほどだった。
5月か6月頃、あっちゃんとゴリは週二回個人塾に通い出した。 
でも僕は少林寺拳法に通っていたし習い事は、特に勉強は嫌いだったから一緒に通わなかった。

8月になって地元の神社で夏祭りがあった時にあっちゃんに「〇〇君もおいでよ」
「塾って言ったって勉強なんて全然しなくても良いし、ケーキも出してくれる」
「それに先生が超やさしいんだよ」
「初めの頃一ヶ月くらい真面目に勉強してるフリしてれば、大丈夫だよ」
と今思えばムチャクチャだけど、とても強くそうやって勧誘され、「じゃあ 見学に。。」と8月末に一度塾へ行かせてもらう事になった。

ちなみに勉強に通いたいと言えば母さんは絶対反対しない人だった。
あっちゃんと口裏を合わせて、それはもうとってもとっても良い子に体験授業を受けさせてもらい、「先生 とっても良い子だねって言ってたよ」というあっちゃんのお墨付き情報を頂いた。
そして9月から正式に塾に通う事になった。

と言ってもいきなりワンパクモードには入れるはずも無かったから、少しの間は真面目に授業を受けていたんだけどある日の授業中、みんなが大騒ぎをしていると。
モンチャン:「ちょっと!」
モンチャン:「こら! みんな〇〇君を見習いなさい!」
モンチャン:「みんなの親御さんに合わせる顔が無いでしょ、先生首くくんないといけなくなっちゃうじゃない」
モンチャン:「ねぇ〜(僕に同意を求めるように)みんなうるさいよね〜」
ピペポ:「そうですね・・・」
あっちゃん:「そんな事いうけど先生。 でも 今は真面目にやってるけど、ホントはこいつも凄いんだよ〜」
ピペポ:「こらこら。。。。」
と、いきなり暴露された。
フッフッフばれちゃ〜仕方ない。といきなり変貌はさすがに出来なかったので、なんとなく真面目にやる時はやるけど、
あっちゃんやゴリと一緒に遊ぶという曖昧なポジションで以後二年間くらい過ごす事になる。
なぜ二年かというと、中三の夏休みから受験勉強を真面目にやり始めたから。
(なんて良い子ぶっても、実際は割と遊んでたけどね、勉強の時間は真面目にやって休憩や塾の前後に遊んでた。)

先生は心理カウンセラーもやっていて、どうやらそもそもはそっちが本職みたいで、時々そういう話しを聞かせてくれた。
じゃあ試しに僕らも心理テストしてよ!という話になって、皆で夢分析をしてもらった事がある。
夢分析とはなにやら見た夢から深層心理を探るものらしい。
しかしながら意識してない所を第三者から教えてもらうわけだから、言われても全然ピンと来なかった。
モ:「うんうん。そうか。。  へぇ〜 な〜るほどね〜 うん。。。 うん。。。はっは〜 そうなんだ〜」
なんて人の夢の話し聞きながら、すごく熱心にあごに手を添えて、首をブンブン振りながらうなずく先生が面白かった。
ちなみにその時話した僕の夢は、
東京がゴジラみたいな怪獣に襲われて、人々が逃げまくっている。特に地下へ逃げようと必死になってる。
でも僕はウルトラマンを確かに呼んでるから、きっと来てくれるに違いないと信じながら走ってる。
という夢。 先生の分析はというと。
どうやら僕は助けてくれるヒーローを待ち望んで叫んでいるらしい。
まぁ。 取り分け大きな悩みが無いこの頃の僕。 夢のまんまの分析結果でした。

先生は夢分析以外にも、色々な方法で心理状態を把握する方法を知っていて、例えば「箱庭」。
大きさの決められたオボンのような箱に、砂を地面のように敷き詰めたり、家の置物を置いたり、車や犬や人間、木や川を自由に置く事で、気持ちを探るらしい。
他には先生に指定された絵を一枚の紙に書いていって、終わってからそれを見て判断する方法。
「じゃあ まず山を書いて。 次は川。次は家。畑。自分。動物。」 というように指定されながら完成させていく。
よく家庭に問題のある子供の書く親の顔は真っ黒に塗りつぶされているとか、少し普通と違うと言われるけど、そういうものに近い方法で心を知ろうというものなんだろう。
こういう方法を考え出した人がどうだかはわからないけど、先生を見てるとどうしてでもその人の心を汲み取って力になってあげたい、という気持ちが感じられた。
よく先生は「皆みたいに健康な若者とはほんの少し違うところがあるんだよ」と色々な人の話を聞かせてくれた。
勉強も出来た方が良いけど、心が健康である事の方がどんなに大切な事か、健康であるように生活をして欲しい事。
何か悩んでる事が無いか今でも偶に会うと気にかけてくれている。

 塾に通っていた頃の僕達はとっても悪い子だった。
ここには書けないような事もあるけど、勉強をしていた地下室はいつも「!!!!!」で満ちていた。
例えば。ロケット花火事件。
箱庭用の砂が入ったマンホールのふたくらいのバケツに、ロケット花火を入れて速攻ふたをすると 「ボンっ!」と小さい音がして、ふたをとると中から煙が「ふぁ〜」っとたつ。それから中を見てみると爆弾みたいなクレーターが出来てて面白くて調子に乗って遊んだ。
あんまり面白くて熱心に遊んでいたら煙で地下室がいっぱいになって、「やべっ」と思った時に先生が階段を下りて入ってくる音がして
「ゴリ!!急げ〜」
「アイアイサー」 とドアのカギを閉めてもらい。
座布団で地下室の上のほうにある窓へ必死にあおぎ、換気扇もフル回転。
そうこうしている間にも先生がドアの外で「ちょっとっ!!開けなさい!どうしたの? 火薬くさいよ!」
とバレた様子。
少し煙がひいたところでドアのカギを開けると「なーにやってるの!!!」入ってきた。
もちろん僕達はわざとらしく「べ 別に。。」と言ってはみるけどすぐにバレタ。。

他には枯葉剤事件。
キンチョールのような害虫駆除剤の裏には「火気厳禁」とよく書いてある。 だから煙にライターの火を近づけてみると「ボーーー!!!」と火炎放射器のように燃える事を発見した。 これは面白い。早速いつもの地下室で先生が居ない隙に遊んでいたらジュータンに引火!
「ああ〜!!!sl;じゃ;ksっpp!」と急いであっちゃんが踏みつけて無事鎮火。
これはバレないだろうと思った。が。偶然先生がそのジュータンの上あたりは歩いた時「あらっ!」と靴下に引っかかる感触が、いつもと大分違う場所がある事に気がつきバレタ。。「どうしたの!これ!」 「いやね。これあぶなかったんだよ〜 まさに危機一髪。」なんて後の祭っぽく言ったけど怒られた。

コンセント ショート事件。
これもうちらの間では有名。消しゴムにシャーペンの芯を二本平行にまっすぐ刺し、その上に橋渡しのようにホッチキスの針を一本乗せる。
それからシャーペンの芯をうまく家庭用100Vコンセントに差し込むと、「パン!」と軽いショート現象が起きる。
これは学校でもこの頃はやってた。今思えば危険極まりないが。
僕らはシャーペンの芯を別の物質。理科の言葉でいえばより電気抵抗の少ない導体に変えたらどうなるか試してみたくなった。
早速先生に見つからないようにクリップの二本を、シャー芯の変わりにまっすぐ平行に刺した消しゴムを作った。
そして先生がいなくなった隙に、刺してみると「ボン!」とさっきより大きな音がした。
これは実験成功。
ならば橋渡しの役目(ショートする場所)をしているホッチキスの芯を、増やしたらもっと大きな音がするのではないかと考えた。
さすがに危険なので少しづつ本数を増やしてみた。そして終いにはクリップの上全てに、キレイにホッチキスの芯を敷き詰めた。
そして差し込んだ。
「ドーン!」
想像より遥かにでかい音と黒い煙り。そして何より地下室の明かりが一瞬暗くなった。。
しかも消しゴムは焦げてて、むしろ少し溶けたようになり、コンセントの周りが少し黒くなった。
あまりのすごさにそれから一回もこれはやっていない。 ちなみに多分これは先生にばれてない。

そんな、どんなにか良く言うとワンパクな塾生活だったんだけど、その中で大きな変化が訪れた。
それは中学二年生の時。少林寺の先輩(大人)達と白井の道場に練習に行った時の帰りの食事で。 「おまえもビール飲んでみろよ」と薦められた。
家の親戚が集まった時に少しだけ味見した事があって、あの苦い不味さを知ってたから「やだよ〜」 と抵抗したんだけど、「飲まないと車乗せてやんないぞ〜」と、からかわれて渋々飲んだ。
この話しをみんなにしたことから「おまえ飲んだ事ある?」という事になり。「正月に親戚のおじさんに飲まされた〜」と誰でも経験したような事で笑いあい。
「じゃあ みんなで飲んでみようか?」という所まで話しが進むのにまったく時間はかからず、塾にこっそり持ち込む事にした。
初めは小さいサイズのしかも一番アルコール濃度が低そうなバドワイザーを飲んだ。
しかし予想通り 超苦くて飲めた物ではなかった。 「大人はなんでこんなの美味そうに飲むんだろう?」と不思議思ったけど、まだ見ぬ「酔っ払う」という体験にはすごく興味があった。だから諦めず今度はカクテル系を買って塾に持ち込んだ。
もちろん 懲りずにビールも買ってみた。
初めて先生にばれた時にはずいぶん怒られたけど、あんまり言うと外で飲むようになるだけだと踏んだのか、すぐ強く怒りはしなくなった。
もちろん一緒に飲もうなんて言う事はなかったけど。
カクテル系はジュースのような味がするから簡単に飲めて、しかも大人になったような気がして妙にうれしくて、特に「かんぱーい」が照れくさくて楽しかった。
カクテルを沢山飲んでから、真打ビールにリベンジを試みたところ、軽い酔いで味覚が麻痺してて苦くなかった。
「あ。 ビールが飲める!」 「マジで〜 すげー」 レベルが上がったみたいでまたまたうれしかった。
カクテルのおまけ扱いだったビールが、日の目を浴びるスクープだった。
そしてビールがカクテルを大きく引き離していった。
この時のビールは今みたいな「飲みたい。」というのではなく、単に「酔う」ための道具だったけど楽しかった。

僕らが無事高校受験を通過した時、先生は目を細くして「よく頑張ったねぇ。。。偉いね。」ってずっと言ってくれた。
1月に高校が推薦で決まって、受験勉強は終了したんだけど、僕らはみんなもちろん塾に通った。
元々「受験対策」という立派なお題目があったわけでも無いから、少しも不思議はないのだけど、友達と会うため、先生と話をするために通うようにどんどん変わっていた気がする。 高校生になったある人の話し。自分の子供の話し。とか色々。
ちなみに僕は中学校の友達・先生に不満があったわけでも、尊敬できる人がいなかったわけでもなく、むしろ担任の先生はすごく尊敬している。
でも モンチャンは自分の親に近い年齢や価値観を持っていても押し付けたり、決め付けたりしないで、最後まで話しを聞いてくれたし、寝る時間を使って沢山の話しをしてくれた。
だからこそすごく身近に感じられた。勉強に使っていた微かにカビ臭い地下室や、大きな勉強机、隣の部屋にあるソファー、地下室四壁にびっしり詰まっている難しい本でさえも、僕らに自分の場所へ帰ってきたような安心感を持たせた。
場所って人じゃないかなって思う。
先生がいなかったらまたすぐに殺人事件とか起きそうな地下室に思えてくるだろうし、みんなと行くからこそ今でも懐かしくてうれしい場所になる。
中学生の頃 大人は環境破壊するから敵。(森伐採するし)。自分達はそうならないようにしていこう。って信じてた。
だから自分の入れる場所というか帰って来れる場所って、ごく親しい友達と自分の家、教室、生徒会室、くらいだった。 しかも学校は社会だからどうも安心してダラっと気さくにっていうのは違う気がしてたから少なくて。
モンチャンというに大人との関係の中に自分のいつでも帰れる場所が出来たって事は、とても大きな励みになっていった。
実際中学生の頃の世界はつまり学校で、頭の中ではすごく地球規模の夢とかアイディアをもっているんだけど、生活しているのはごく小さな集団社会の中。
しかも厄介な事に「この場所が全てだ」って、信じてしまいそうになるからほんとに些細な事でも深刻に悩んで抜け出せなくなったりしてた。。
僕はどうしたらいいんだ。って考える事があった。 でもそういう時に何かほかで自分の場所を与えてくれる人がいたって事が力をくれた。
僕はいつか合法的にビールが飲めるようになったらあの地下室で飲みたいって思ってた。

多分あっちゃんやゴリも同じ事考えてたんだろう、二十歳過ぎて先生の家に行くとき当たり前の用にビールを買っていった。
先生用のビール(普通サイズと遠慮された時ようの極々小さめの)も合わせて。
今でも不定期に、それでも年に一度くらいのペースで先生の家にお邪魔にさせてもらってる。
10年以上たった今でも先生は沢山の話しをしてくれるし、僕ら1人1人の話しを聞いてくれる。
そういう大人になりたいなぁと思っています。
そろそろ行く頃だな。