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みんなにとっちゃどうでもいい出来事

みんなにとっちゃどうでも良い事

思い立った時に書いたほうがきっといい。
今日 今この瞬間にしか書けない気持ちが絶対あるから。
明日じゃだめ。
今思ってる事 ただひたすら書きます。

楽しい時間は止まると褪せてしまう。でも俺は欲張りだから出来れば全部背負って
褪せさせないようにしながら生きていきたいと思ってしまう。
どんなにドキドキする時間だって、重ねているうちにきっと形を変えてわからなくなる。
問題があっても相手が悪いっていつの間にか思い込んでしまう。
でも それは自分の後ろめたさや、よそ見とか色々なわだかまりが相手に反射して写ってるだけだ。
だって 反射する相手が居なくなったら、自分が間違っていたといつも気がつくから。
だから相手の事を良く考えるという事と、自分の気持ちを理解しようと努めながら相手を見る事は同じ事だと思う。
誰も見ていない時まで強がって涙を隠す必要なんて無い。
俺は相変わらず 同じ話しを聞いて、思い出の曲を聴いて、ふと記憶が蘇って、リアルには悲しくないのに泣く。
大人になる事は、例えば泣かなくなる事じゃなくて、その場で堪える事が出来て
後で我慢した分まで泣ける人になる事なんだろうと思う。


別れはどんなに用意していても万端にはならないらしい。
わかっていても、自分から切り開いていても後から止め処なく思いは出てくるもの。
後悔しない別れなんて 大切な人とは無い。
せいぜい これで良かったよね? にボロボロになりながら辿り着く。

詩的な表現で「大切な人がいないこの町は色を失ったように見える」とあるけど、それはホントはちっとも詩的ではない。
目がおかしくなってホントに色がうすく見える。
極めて正しい表現。 
おじいちゃんが死んだ時のおばあちゃんはビックリするくらい小さかったから。
心と体がこんなに密着した関係であったなんて思わなかった。

死ぬ事って忘れられる事だって良く聞くけど、俺もそれが真実だと思ってる。
忘れないで思い出しつづければ、死なないとも思ってる。
この世からいなくなった大切な人はまだ生きてる。 会えないだけ。
もしかしたら自分をそう思うことで慰めているのかもしれないけど、俺はそう信じてる。

愛は世界を救う。これはもちろん偽善者の戯言じゃない。
好きな人のことを思うとき、ホントに幸せになってもらいたいって我ながら純粋に思うから。
今でも幸せを願ってます。
ただ俺が幸せに出来るかもしれない人はすぐ近くのほんの僅かの人だけです。
だから遠くにいる人へ願う幸せは 昔 見せてくれたような穏やかな顔をしていてくれる事かもしれない。

大好きな曲 lucky の歌詞「それでも私らしさとか、やさしさだけだ 残れば ラッキーなのにね」。

こんな気持ちも自分の罪を覆い隠すために、自分は何もしないくせに幸せになってもらいたいって考えているのかもしれないね。
ズルイ部分もみないとしっかり相手が見れないから、またいつものように色々考えてる。

まだまだ色々言葉が意味もなさない順番で出てくるけど、まだ少し時間が必要な言葉達みたい。
読んでくれてありがとう。