今となっては当然のことだが、白パピコは夏を表す季語である。
なぜならその味が爽やかで、青春色。
加えて、毎年夏にならないとこのパピコは販売しない!
そういうなれば冬場のコーンポタージュ。
大晦日の甘酒。風邪ひいて学校休んだ日の3チャンネル子供番組なのです。
そんな線香花火のような儚いパピコが大好き。
昔 好みの女の子を聞かれて「カルピスっぽい清潔感のある人」って答えたくらい。
ほんとはただ好きな味なだけ。
この文はまだパピコが夏限定販売されてなかったのもの・・・
さかのぼること、まだ世紀末が少し遠かった頃。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
俺とパピコとの関係はいつに始まったのか、覚えてないくらい長い
付合いだ、夏場の暑い日にのどの渇きを潤してくれたのもパピコだった。
冬の寒い日でさえやっぱりパピコだった。
なのになぜだろう・・・・いつのまにか姿を見なくなった。
俺は、途方にくれた
しかし!
「神」は見放してはいなかったのだ。
我孫子が誇る大手スーパー「エスパ」様(駐車場がタダ)に行ったときだった。
何気なく歩いていた俺の前に信じられない光景が広がっていた。
なんとパピコのミニサイズが、
当たり前のように並んでいたのだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思わず手に入れた幸せにただ漠然と笑うしかなかった。
それから おれは、エスパを「あぁ エスパね」と呼び捨てられなくなったのだった。

ところが・・・・・・・・・・・・・・
当然のように「エスパ様」へパピコを求めていったときまたしても運命のいたずらが
俺を待ち受けていた。
「パピコミニが今まであった売り場にパピコはいなかったのだ。」
変わりにパピコの「コ−ヒ−? カフェモカ?」・・・とにかく茶色い色のパピコがあるだけだった。
俺はその場で立ちすくみただ目の前にあるどうしようもない現実に支配されていた。
内心「やっぱりな・・・・・」と思った、なぜならばここ数日エスパ(すでに「様」はなくなっていた)に
行くたびに「売り場の縮小」、「圧倒的ニ−ズのなさ」を感じていたからだ、さらに俺が買って次に
エスパに行っても、パピコの数は増えても減ってもなかったから「マズイ・・・・・」と日々思っていた。
くるべき日が来たといえばその通りだが俺にとってこの日は、決して来て欲しくない日であった。
・・・・それからどれくらい過ぎたのだろう・・・・・
パピコの無い生活もようやく慣れ、あの日々は現実とはまるで関係の無い夢物語のように思えていた。
そんなある日俺はバンドの練習で上板橋へ行った。
練習後ジョナサンで夕食を済まし、楽譜をコピーするためにコンビニへ入った。
そしてまた何気なく歩いていた俺の目の前にあいつはいた・・・・・
いまさら言うまでもないだろう・・・
「パピコ!」
俺は迷わずその忘れかけていた味を楽しんだ。
そしてある事に気がついた・・・・
パピコのパッケージが変わっていたのだった・・・
「つまりこれは・・・・」
そう!!これはただの売れ残りではない。
我らがぱぴこ様の華麗なる復活を意味するのである!!
そのレトロなパッケージは、俺には勇ましくまた堂々と生き生きとした御姿に映った。
それから数日後、等々我孫子のファミマでも解禁となった。
栄光の日々の再来である
しかし・・・・
この栄光も一時のものに過ぎなかった。
またぱぴこは俺の前から去っていったのだった・・・・
あのレトロなパッケージは復活なんかではなく、お別れを言っていたのかもしれない・・・・・
そう思うと何でもっとたくさん買っておかなかったのか、と悔やみきれない。
しかしまだ諦めてはいない、いつかまた新しいパッケージと変わらぬ味で俺達を楽しませてほしい。
「帰って来い!!」
|